問いかけは、感情と思考を刺激する

精神論とは、結果と原因の関係性がほとんどない考え方だと言われている。例えば「信じるものは救われる」「願えば必ず叶う」ということだと捉えている。

一方、結果には必ず根拠や原因があるという考え方もある。例えば「このように感じたから、この選択をした」「こうように見えたから、この行動をした」ということだと、私は捉えている。

精神論や結果と根拠や原因は紐づいているという感覚は、無意識のうちに私たちの内側に形成され、私たちを不自由に拘束してしまうことがある。

その拘束は、過去に何からか出来事や体験があったとき、自分自身、もしくは周囲の人から紐づけられた感情によって出来上がるという。

先日、ある男性から相談を受けた。

「列車の添乗をしていると、運転操縦にはそれぞれの個性があって正解はない、と感じさせられる。ただ、信号機などを喚呼する位置やタイミング、通停確認をおこなう時期、運転台にある機器扱いの手順など、修正したほうが望ましい、と気にかかる場面に出くわすことがある」と言う。

私は、少し間をおいて、「そんなとき、どうしているんですか」と尋ねると

彼は、「相手が気分を悪くしないように、言い方に十分注意しながら伝えることもある」と顔をうつむかせながら答えた。

「確かに、誰かに言葉で何か伝えることで、お互いの関係性が良くも悪くもなってしまいます。言い方に気を遣うのは無理もないですよ」と返すと

苦笑いしながら、「そうやねん。伝えたことが原因で、関係性が悪くなるのも嫌やしな」

「そうですね。そんな気持ちを抱えながらでも、何かを伝えた後、相手からそんなことを言われることは不愉快だ。という否定的な反応が返ってくることもあるかと思います。そんな中でもどうやって関係性を調整してきたんですか」

少し沈黙があった後、「そこが難しいところで、なぜ、こちらが伝えようと思ったのか、伝えなければならない理由を理解してもらえるまで、丁寧に説明していくしかないと思っている。でも、これといった正解がないのが難しいところ」と苦笑いを交えながら呟いた。

私は、ゆっくりとした口調で「きっと、関係性を築いた先にある世界を知っているからこそ、丁寧に説明を続けながら伝えようとしてこられたんだと感じます。誰だって、プライドを持って仕事している人に対して、特に否定的されたと受け取られる可能性がある言葉を伝えることは、とても勇気が必要なことだと思います。だけど、それを承知の上で、伝えなければならないことを伝えています」

彼は、はにかみながら、「おお、そうやな」とその場を去った。無意識のうちに、拘束されてきていたものから解放されると、どんな未来が見えてくるのだろう。

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