目次
メッセージ
語空とは、”語”、つまり対話(コミュニケーション)、そして”空”、人は誰もが元々空っぽの器であり、無限の可能性を秘めているという意味です。
今は何をすると明確に定めているわけでもありませんが、ライターとして、そして小規模開催のセミナーや悩み相談を受ける人として、ほそぼそと活動を開始しています。
少し長くなりますが、どのような経緯を経て、ここにたどり着いたのか、以下のプロフィールストーリーをご覧ください。
語空の私物語
1.出会い
平凡だけど、何か満たされない日常を過ごす
幼い頃、自宅近くを走る電車を見ることが好きだった。行き先表示の青色は普通、緑色は準急、橙は急行。駅名や停車駅を覚えることが得意だった。漠然と電車運転士になることに憧れていた。
大学卒業後、鉄道会社へ入社する。駅での勤務、車掌での勤務を経験し、入社4年目に運転士の職に就いた。
鉄道の現場では創意や工夫を重ねながら新たなものを創造することの前に、定められたルールに沿いながら滞りなく業務をおこなうことが優先されている。安全が何よりも優先される鉄道であるために、このような風土や形態であることは当然だろう。憧れていたはずの仕事に就いた。満足もたしかにあった。同時に、私には、それに馴染めない部分が見え隠れし始めていた。
運転士として約6年の経験を積んだ頃、在籍していた職場の上司から誘いを受けた。
「当社には上位職を目指す社員のための選抜試験がある。このまま運転士を継続しながら匠を目指す道もある。一方、様々なキャリアを積みながら、職場のリーダーとして組織をリードしていく立場を目指すこともできる。君にはリーダーになっていく資質や能力があるようにみえる。キャリアアップを目指してチャレンジしてみないか」
私一人では何も変えられない。そう思う日々からの解放。当然それを意識しないわけはない。ただ、自分が思う期待とは別の声も聞こえていた。
「収入は増えていくのだろうけど、仕事に拘束される時間が格段に増えた」
選抜試験に合格し、キャリアアップを目指す先輩方のつぶやきだった。
私は上司からの誘いに、返事が出来ずにいた。私は何を大切にして生きていきたいのだろうか。キャリアアップなのか、収入が増えることなのか。リーダーとは何だろうか。私だけにしか見えない未来を見据えて歩いていきたいのか。その頃の私にはわからなかった。
夫婦共働きの5人家族。当時すでに、双子の3歳児と1歳児がいた。共働きの日常生活を送る中で、金銭的な余裕より、時間的な余裕を求めていた。夫婦それぞれのキャリアプランのバランス。熟考に苦慮しつつも、選抜試験を受験せず運転士を継続する道を選択するに至った。
本当にこのままでいいのかと葛藤する
同期や後輩は選抜試験に合格し、キャリアアップをしていく。
あくせくと仕事をこなしつつ「仕事が大変だ。お金より時間が欲しい」と話す姿。
運転士を継続する道を選択したのは私。そう言い聞かせながらも、もう一つの道を選択していたなら、どんな生活を送っていたのだろうか、言葉にならない思いを感じる日々。
選択した道は、難しさを抱えたわけではなかったが、仕事、家事、育児と何かに追われているような日々であったことに変わりはない。社会人としてのキャリアと、家庭人として父親。ワークライフバランスは実現できていると感じていた。子どもたちの成長を身近で見届けていけるこの生活に、おそらくキャリアアップという道を選択した人が得る価値とは違う価値も、感じなくはなかった。
「ああ、でも、こんなもんか…」
と不意に声がこぼれた。
何か大きな困難や不都合があったわけではないからこそ、約8年という歳月を、淡々と過ごせたのだろう。
出来る限り家族との時間を共有し、生き様を感じられてきたからこそ、決して薄くはなかった8年。しかし、それほど濃いとも言い切れない8年。一つの時代という認識を持つには、十分な期間だったとも言える。この8年で残せたものは何だったのか。一人の人間として、この人生はこのまま終わらせるだけで良いのか。
わずかな疑問は、小さな膨らみとなり、微弱ながらも何かを訴え始めてきていた。
『何かが出来るのではないか。この道を選択した私にしかできないような…』
という心の内側からのつぶやき。これを何と呼ぶのだろう。
探求心なのか、評価してほしいという心の叫びなのか、とも言えるものなのか。
はっきりと言葉に出来るものではないが、何もなかったものから、何かが始まったような、小さいがこれまでと違うことだけはハッキリとわかる。そういう類の心境だったのだろう。この心境が、運転士とは異なる職種にチャレンジしていきたいと思わせていることは明白だった。
変えられない関係性に悩む
私の言動や行動に対して、特定の人から必要以上の干渉を受ける場面が増えていった。原因や理由を尋ねても、理解しがたい返答が返ってくるばかりだった。
「お前のためを思って言ってるねん。俺は知ってるねん」という言葉が繰り返されるばかりだった。その人と顔を合わすことも嫌になり、避けながら過ごしていた。誰に相談すればいいのか全く見当がつかず、外部の専門家(心理カウンセラー)へ相談することにした。
2.成長
受け身ではなく、先手を打つ
初めてお会いした先生から授けられたことは一つだけ。話しかける順番を逆転させてみてはどうかという提案だった。これまでは、先に相手から干渉され、私が何らかの反応を返す。
すると、相手はさらに私が不愉快に感じる干渉をしてこようとする。この関係には、いつも力を失い、抵抗できないような感覚があった。
言われた通りやってみた。先に私から相手に対して「色々と気にかかることがありますよね」と話しかけてみる試みだ。すると相手は「何でそんなこと聞くの」と尋ねるだけで、以前のように干渉される場面は少なくなっていった。
偶然ではなく、意図を持ち必然として変化させる
理由はわからなかった。先生から教わったように言葉と行動を変化させると、なぜか求めていた関係性へ変化したのだ。
起きた出来事を先生へ伝えると、「コミュニケーションとは、話し方や聞き方や伝え方のことではなく、人と人との関係性の間で起きていることです」
と穏やかに話された。
「関係性?」
言葉として知っていても耳慣れないその概念は、私に興味を与え、これを学ぶことがどこか運命的な価値を感じるようにもなり、そこから得られる私自身に変化を起こさせた。
日常生活、家族関係、仕事で起きることなど、それら全ては偶然ではなく必然として変化させることができるようになっていったのだ。
探求にのめり込む日常
ブリーフセラピーという心理療法だった。
もっと知りたい。もっと探求したい。資格が取得できるとか、目に見えるような具体的なものではない。得体のしれない抽象的なもの。ただ、そこには特効薬ではなく、漢方薬のように末永く、必要としている誰かの助けになる力が存在しているように感じた。
先生が主催されている講座を受講し始めた。
なんだろう。人間関係や日常生活で困っていること、どうすればいいのか身動きがとれないと感じていたことを講座で話すと、全く知らなかった切り口から話が始まり、話が終わる頃にはスルッとした感覚へ変化する。
話すことで、すっきりしたという感覚ではなく、求めている方向、世界はこちらではないかという後押しをしてもらう感覚。
講座では、知的好奇心が全開だった。仕事や日常生活に直接関係があること、ないことを全てひっくるめて、問いをどんどん立てていきながら、実践し、検証し、深堀りするために専門書を読んだりもした。
新しいことを知り、還元できる視点はなんだろうか。そんな欲求に満ち溢れていた。
3.転機
致命的なヒューマンエラーを発生させる
学びを深めていくにつれ、火のついた知的探究心は、何かが出来るのではないかという自分自身への期待を膨らませた。精神論や権威性に頼るのではなく、見ようと試みた人にしか見ることが出来ない捻じれた糸を、少しずつ解いていくための最初の一手が見えてきたようにも思えてきた。
だが、具体的にこれが出来るといったものを、すぐに見出だせたわけではなかった。
そんな頃、それ自体がすぐに事故を引き起こすようなものではなかったが、運転士として致命的なミス(速度に関係するヒューマンエラー)を発生させたことがあった。
運転士業務は、何かに左右されることなく、安定したパフォーマンスを出すことが求められる仕事。映画ならばアクシデントは一つの面白みをつくるが、運転士という仕事はそういうわけにはいかない。
もちろん、その出来事について職場の管理者などから、ヒューマンエラーの経緯や、その際に私がとった行動などについて聞き取り調査がおこなわれることとなった。
ただ、そこで今までの私との違いに気づいた。それは、上司は何を求めて問いかけているのか。その意図に沿うためには、どのようなコミュニケーションが適切なのか。そういったことが、以前と違った視点から見えてきていた。
私が伝えたいこと、そして相手が求めることを適切な言葉として表現した結果、今後、ヒューマンエラーを未然に防ぐ対策も立てることが出来た。
日々の仕事に成果が見えてきたことは、私にとって大きな収穫でもあり、このことは後々、社内のコミュニケーション改革を望むきっかけとなった。
社会に対して挑戦していきたいこと
これまで学びを共にしてきた仲間との関係も大きかった。
家族や仕事という日常的な繋がりだけでなく、私の探究心に興味をもち、その話を聞いてくれるコミュニティに恵まれ、私の軸となる言葉を得たのだ。
「私を認めてくれる人と出会い、その人と話すことで、私は何者かに気付くことが出来た」
一般的に「これが正解だ」と言われるものを目指すのではなく、私が社会に対して挑戦していきたいこと、実現していきたい世界観を表現し合える関係性があることは、ここから先の人生をどのように生きていくのかについて、大きな安心を与えてくれたように思う。
相手が求めていることを掴みはじめる
先にも書いたが、「関係性」についての学びは、私の仕事に小さいとは言えない変化を起こしていた。上長や同僚、線路や信号などのメンテナンスなどをおこなう工務社員など、関わる人との関係性が変わり始めていたのだ。
相手が求めることは何なのか、以前と違った視点を持つ私がいた。
そして、このようなコミュニケーションを通じて、私自身への信頼度が増し、日常を生きる価値が上がってきていることにも気づいてきていた。
このことを、社内への提言として使うことが出来るのではないだろうか。その一念を持ち続けていると、社内人事の一環として、全社的な業務改革を推進する業務をおこなう人材の公募がある、という掲示が目に入った。これまでの学びが、より仕事で活かせるのではないか思いたち、応募してみた。
結果は、会社側が求めている価値と、私が提供したい価値の不一致により、合格には至らなかった。しかし、この応募を通じ、私は「生きる」「働く」ということを、日々どのようにしていきたいのかについて、明確にすることができたように思う。
4.私が進んでいく道
私が存在する意味を伝えていく
他者との「関係性」が変化していく過程で、「生き方」や「働き方」や「人間関係」にどのような変化が起きるのかは予測できるものではないだろう。ただ、みずからが願う未来に出会い直すための思考や言葉を得ることは、行動と生活を変化させ、大切な人との関係性を整えることが可能となるのだ。
このことは、私自身が得てきた学びと経験が、思わせてくれたことだ。
今、私は以前とは違う思考のステージに立っていると思っている。これまでは、コミュニケーションとはそれぞれの個人が、何を思い、どんな意志を示していくことが大切なのだ思ってきた。
しかし、個人がどう思うのかということ以上に、誰であっても、他者との関係性があり、それが自己信頼度としてあらわれ、日々のパフォーマンスや思考にも影響を与えていると思えるのである。この主張を、どこで実現していくのか、自分自身、いまだ明確なわけではない。
ただ、これまで得てきたことや、私の主張を、まずは言葉にして発信していくこと。また、ご要望によっては、小規模なセミナーや悩み相談、キャリア相談などを、受けていきたいと思っている。
実現したい未来へ歩み始める
誰しも、人生の中で「選択する」という場面がある。その決断の先に出会う喜び、嬉しさ、寂しさ、羨ましさ、葛藤などといった感情にどのように向き合いながら過ごしてきたのか。
さらに、何者でもない私が、いつかどこかへたどり着くなら、そこに到るまでの過程を表現していけばいい。
それは、同じように道に迷いそうになっている人や、歩き出したくても歩き出す勇気がない人がいるならば、その人たちが選択できるロールモデルになるのだろう。
私が願う世界を誰かと共有し、共に実現していく日々を心待ちにしている。